ラジオ産業を支配する者 2
ラジオの人気は、P&Gやリーバ・ブラザースなどの石けん会社がスポンサーとなったので、「ソープ・オペラ」といわれる連続ラジオドラマの大流行を促すことになりました。
午後になると、どの家庭でも、主婦がドラマを聴きながら家事をするという習慣さえ生まれました。
これとともに、聴取者は子供から老人に至るまで、コマーシャル・ソングやメッセージ(キャッチフレーズ)を
覚えこまされ、キャメイやラックス(石けん)、ケロッグのコーンフレーク、コカコーラやペプシコーラ、P&Gの歯磨き粉や歯ブラシ、たばこではキャメルやラッキー・ストライクといった具合に、自然のうちに「製品差別化」を押しつけられる結果となったのです。
また、自動車や家庭用電気製品の耐久消費財メーカーも、放送局の最も有難い顧客となりました。
したがって、ラジオ放送局が収入の大部分を広告に依存するようになるとともに、スポンサーと広告代理店が、ラジオ業界を支配するようになっていきました。
1930年代の「ラジオの黄金時代」も、実際にはこれらのビッグ・ビジネスによるラジオの支配を意味するにすぎなかったのです。
たとえば、1944年にはCBSは1回100万ドル以上の番組を買ってくれる13社の顧客に頼っていましたが、このうちの3社は1回400万ドル以上を払ってくれる大スポンサーでした。
同じように、NBCは100万ドル以上の顧客11社、ABCも9社に依存していました。
他方、広告代理店となると、大スポンサーへの依存はさらに大きいものでした。
J・ウォルター・トムプソン、ヤング&ルビカム、ダンサー・フィッツジェラルドの3大代理店は3大ネットワークの放送時間の4分の1を占めていました。
また1945年には、広告主7社と広告代理店6社は、CBSの売上高の半分近くをまかなっていたのです。
同様に広告主12社と代理店5社は、ABCの売上高の40%以上を握っていました。
こういった状態でしたから、放送局の自主性は失われ、大スポンサーと大広告代理店のいうがままにならざるを得なくなっていったのです。
しかも、1930年代にエージェントが放送局にかわって、スター、シナリオ、監督、音響効果など、制作にかかわるすべてを担当して、そのショーをスポンサーに売り渡すというシステムが定着し、のちにテレビにも受け継がれることになりました。