ラジオ産業を支配する者
ラジオという絶好の新しいメディアに飛びついた広告代理店は、全国ネットワークでラジオ・アドを流しはじめます。
ラジオの生みの親のリー・D・フォレスト博士は「直接広告の貧欲はたちまち生き血を吸う本性をあらわし、ラジオが持つ最大の利便をぶちこわすであろう」と述べました。
そして、「エーテルのような広告の下劣さ」を非難したのです。
しかし、「ラジオ・ネットワークは学ぶことに、儲けることにあまりにも忙しかったので、こうしたアドバイスに耳を傾ける余裕はなかった」のです。
広告代理店はスポンサーの要望に応えて、ますます人気の高い、長続きのする番組の制作に力を注ぐようになりました。
なかでも1929年に始まったP&G提供の家庭コメディー・ショー『エイモスとアンディー』は大当たりを取り、スポンサーのペプソデント歯磨の売り上げは、数週間のうちに3倍になりました。
1930年代の不況のなかで、人びとは夜7時になると『エイモスとアンディー』を聴くためにラジオの前に集まりました。
当時、アメリカ人の3人に1人はこれを聴いていたといいます。
映画館では客をとられないように、ロビーでラジオを聴かせます。
水道局は「この放送時間が終わるといっせいに人びとがトイレにゆくため、水庄が下がる」と報告しています。
あの気むずかしいイギリスの劇作家で、その鋭い皮肉と文明批評で有名なバーナード・ショウでさえ、「アメリカについて忘れられないものが3つある」とし、ロッキー山脈、ナイアガラの滝とともに、『エイモスとアンディー』をあげています。